『VIVANT』の主人公・乃木憂助には、「F」と呼ばれるもう一人の人格が存在する。
普段の乃木は、温厚で控えめ。少し頼りなく見えることさえある。ところがFは、口調が荒く、判断が速い。乃木が迷えば容赦なく叱り、本人が目を背けようとしている危険や本音を突きつける。
乃木にとってFは、いったい何者なのか。
そして、もう一人の自分と対話するという現象は、乃木だけに起こる特殊なことなのだろうか。
実は私たちも、ピンチに陥ったとき、自分を少し離れた場所から眺める「もう一人の自分」に助けられることがある。
今回は『VIVANT』を全話見ているトレンドウォッチャーのギャル・今田、女子ゴルフリサーチャーのカタヒラ、メンタルアナリストのホリシンが、乃木とFの関係から、スポーツにも役立つ「メタ認知」の力を考察する。
乃木憂助の中に現れる「F」とは何者なのか

ちょっと待って。今回はFの話でしょ? 私、『VIVANT』全話見てますから。Fをただの「心の声」みたいに軽く扱わないでほしいんですけど。

いきなり熱量がすごい!

当然ですよ。『VIVANT』の乃木って、普通の商社マンに見せかけて、実は別班の精鋭じゃないですか。でも、あのとぼけた乃木と、冷徹に任務を遂行する乃木が、どうして同じ人間の中にいるのか。その鍵がFなんですよ。

確かに、Fを単なる独り言として片づけることはできません。ドラマの中では、乃木とは別の人格であるかのように描かれています。

性格もかなり違うよね。普段の乃木は穏やかで、周囲に合わせるタイプ。一方のFは、攻撃的で決断が早い。

二人を善と悪に分けるより、乃木憂助を構成する二つの側面と考えたほうが分かりやすいでしょう。
普段の乃木は、社会の中で人とうまく関わるための自分。Fは、危険を察知し、ためらわずに自分を守るための自分です。
つまりFは、乃木が過酷な体験を生き延びるためにつくり上げた「内なる参謀」ではないでしょうか。

内なる参謀! それ、すごくFっぽい。優しいカウンセラーではなく、多少乱暴でも危機から救い出す参謀。

Fは乃木に欠けているものを外から与えているのではありません。判断力も警戒心も勇気も、もともと乃木の中にあった。それがFという姿を取って現れている、と私は考えます。
「F」は「解離性同一性障害」なのか

ネット上では、乃木は「二重人格」だとか、「解離性同一性障害ではないか」といった考察もあったけど。

見ました、見ました。
「Fの正体」って検索すると、いっぱい出てきます。

ただし、ここは慎重に分けて考える必要があります。
「F」の描写が「解離性同一性障害」を思わせることは確かです。しかし、ドラマの中で乃木が正式に診断されたわけではありません。したがって、「乃木は解離性同一性障害だ」と断定することはできません。
まして、「乃木のような妄想は誰にでもある」という説明は適切ではないですね。

えっ、この考察のテーマが崩れません?

崩れません。というか「考察」ではなく「分析」ですから。
つまり現実の「解離性同一性障害」と、誰にでも起こる「心の中での自分との対話」は別のものだからです。
実は私たちは普段から、頭の中で自分に話しかけています。
「焦るな」
「本当にこれでいいのか」
「同じ失敗を繰り返しているぞ」
「まだ取り返せる」
「次にやるべきことだけを考えよう」
こうした内的対話やセルフトークは、病的な妄想ではありません。自分の状態を確認し、考えや行動を修正するための、ごく自然な心の働きです。

つまり、私たちの中にもFと似た“機能”はあるけれど、Fと同じ現象が起きているわけではないということ?

そのとおりです。
「誰の中にもFがいる」というのは医学的な意味ではなく、自分を外側から観察し、必要な言葉をかけるもう一人の自分を持つことができるという意味です。
女子ゴルファーもラウンド中に「もう一人の自分」と話している?

でも、普通の人が自分と会話していたら、周りから「独り言を言ってる」と思われません?

ゴルフの試合を見ていると、トッププロでもラウンド中に独り言を言っていることがあるよ。
たとえば鈴木愛選手。パットを外したあとに、
「タッチは合ってたよね?」
と、確認するようにつぶやいた声が中継で聞こえたことがある。

誰に聞いているんですか? キャディーさん?

キャディーに確認しているようにも聞こえるけど、自分自身に問いかけているようにも聞こえる。
パットは外れた。しかし、距離感まで悪かったわけではない。「入らなかった」という結果と、「タッチは合っていた」という内容を分けようとしているのかもしれない。

その一言は重要ですね。
パットを外すと、「私はパットが入らない」「今日もダメだ」と、ひとつの結果を自分全体の評価に広げてしまいがちです。
しかし「タッチは合ってたよね?」と問い直すことで、失敗の中から、できていた部分を回収できます。これは次のパットに悪いイメージを持ち越さないための、セルフトークと捉えることができます。

鈴木愛選手の中の「F」が、「全部悪かったことにするな。タッチは合っていただろ」と言っている感じですね。

渋野日向子選手も、ラウンド中によく自分に話しかけています。ある海外メジャーで、アンジュレーションのある難しいグリーンにてこずった時、インタビューで、
「たくさん傾斜とお話ししました」と言ってた。

傾斜と会話するって、シブコらしい!

グリーンの傾斜を敵だと考えるのではなく、ボールをピンへ運んでくれる味方として使ったのかも。もちろん実際に傾斜が話すわけではないけど、傾斜がボールに何をさせようとしているのかを読み、その動きに自分のショットを委ねた感じ。
「傾斜とお話しした」という言葉には、グリーンを一方的に攻略するのではなく、コースからの情報を受け取る姿勢が表れていると思う。

面白いですね。鈴木選手は自分と対話し、渋野選手は傾斜と対話する。どちらも、目の前の結果に感情的に反応するのではなく、状況から情報を取り出そうとしています。
これも広い意味でのメタ認知でしょう。
ピンチになるほど人は「自分」を見失う

でも、メタ認知って、もう少し難しい言葉じゃないんですか?

いやそんなことないです。簡単に言えば、考えている自分を、もう一人の自分が観察することです。
スポーツに置き換えるなら、競技場でプレーしている自分を、同時に観客席から見ているような状態です。

ゴルフでは、ピンチになると急に視野が狭くなるからね。
優勝争いの終盤で短いパットを外した選手は、次のホールでも、
「また外したらどうしよう」
「ここで落としたら優勝が逃げる」
「さっきのパットが入っていれば」
と考えてしまいがち。

私なら完全にパニックです。もう優勝インタビューから表彰式まで想像していたのに、全部なくなったと思いそう。

そのとき、感情の中にいる自分とは別に、状況を見ているもう一人の自分が必要になります。
「いま、結果ばかり考えているぞ」
「さっきの一打と、次の一打は別だ」
「やることはラインを決めて、そこへ打つだけだ」
そう声をかけることができれば、意識を過去のミスや未来の結果から、現在のプレーへ戻せます。

まさに「F」じゃないですか。乃木憂助がパニックになりそうなとき、Fが「状況を見ろ」「いま何をすべきか考えろ」と引き戻している。

そうです。乃木ほど劇的な姿では現れなくても、優れた選手の心の中には、プレーしている自分と、それを観察している自分がいるのではないでしょうか。
スポーツ心理学でも、自分に言葉をかけるセルフトークが、競技課題のパフォーマンスに一定の効果を持つことが報告されています。
メタ認知は「感情を消す技術」ではない

一流選手は、そもそも緊張しないの?

いえいえ、メタ認知が高いからといって、緊張や恐怖がなくなるわけではありません。
むしろ大切なのは、
「いま緊張しているな」
「優勝を意識し始めたな」
「ミスを取り返そうとして、力んでいるな」
と、自分の状態に気づくことです。

緊張している自分を追い出すのではなく、見つけるんですね。

そうです。不安を「消さなければ」と思うほど、不安に意識を奪われます。しかし、「私はいま不安を感じている」と言葉にすると、不安と自分との間にわずかな距離が生まれます。その距離が、次の行動を選び直す余白になります。
ピンチからの逆転は、突然強くなることから始まるのではありません。まず、自分が何にとらわれているかに気づくことから始まるのです。
自分の中に「F」をつくる3つの方法

私もFが欲しくなってきました。どうしたらつくれます?

では、日常やスポーツで使える方法を三つ紹介しましょう。
1.「私」ではなく自分の名前で問いかける

「私はどうすればいい?」ではなく、
「今田、いま何を焦っている?」
「カタヒラ、次に確認することは何だ?」
「ホリシン、いま本当にやるべきことは何だ?」
と、自分を名前で呼んでみます。

ちょっと恥ずかしいけど、一気にF感が出ますね。


自分を名前で呼ぶと、感情の真ん中から少し離れて、自分を第三者のように見やすくなります。
2.事実・感情・次の行動を分ける

鈴木愛選手のパッティングを例にすれば、
- 事実:パットがカップを外れた
- 感情:また外すのではないかと不安になった
- 評価:タッチは合っていた
- 次の行動:次も同じ距離感で打つ
と整理できます。

「外れた」と「悪いパットだった」は、同じではないということか。

そのとおりです。事実と感情を混同しないことが、Fの重要な仕事です。。
3.「F」を「批判者」ではなく「参謀」にする

内なる「F」に、どんな役割を持たせるかも大切です。
▶危険を知らせる警報装置
▶状況を整理するアナリスト
▶次の一歩を示すコーチ
▶自分の可能性を信じる応援者
自分を傷つける存在ではなく、自分を立て直す存在にすることです。

「お前はダメだ」と責めるのは「F」ではない?

それは「内なる批判者」です。
「また失敗するぞ」
「お前には無理だ」
「恥をかく前にやめておけ」
こうした言葉ばかりでは、行動する力を失ってしまいます。
本当に役立つFは、自分を責めるのではなく、現在地に戻してくれます。
「ミスは起きた。では、次に何をする?」
「怖いのは分かった。それでも選べる一歩は何だ?」
「全部が悪かったわけではない。できていた部分を探せ」
そう問いかけるのが、内なる参謀としてのFです。
「F」は乃木の弱さなのか、それとも強さなのか

乃木に「F」がいるのは、そもそもメンタルが弱いからなの?

私は逆だと思います。乃木は「F」がいたから生き延びられたし、あれだけの任務も遂行できた。「F」も含めて乃木憂助なんですよ。

私も、「F」を単純に弱さの象徴とは考えません。
人間の心は、いつも一枚岩ではありません。
進みたい自分と、逃げたい自分。
人を信じたい自分と、疑う自分。
冷静に考える自分と、感情を爆発させたい自分。
私たちの中には、いくつもの声があります。大切なのは、その声を無理に消すことではなく、声の意味を理解し、最終的にどの行動を選ぶかです。
「心理的資本」の視点で見ると、内なるFは、Hope、Efficacy、Resilience、Optimismの「HERO」を呼び起こす存在にもなれます。
もう道がないと思ったとき、別の道を探す。
自分には無理だと思ったとき、これまでの経験を思い出す。
失敗に打ちのめされたとき、もう一度立ち上がる。
最悪の状況でも、変えられる部分を見つける。
「F」が乃木を救うように、もう一人の自分との対話が、私たちをピンチから連れ戻すことがあります。
まとめ――逆転は「もう一人の自分」の一言から始まる

結局、乃木憂助の「F」は誰にでもいるんですか?

乃木と同じ意味での「F」が誰にでもいるわけではありません。しかし、自分を外から観察し、必要な言葉をかける力は、誰でも育てることができます。

鈴木愛選手の「タッチは合ってたよね?」も、渋野日向子選手の「たくさん傾斜とお話ししましたね」も、結果だけに支配されず、自分や状況と対話している言葉に聞こえる。

「F」って、自分の中にいる別人というより、自分では見えなくなったものを見せてくれる存在なのかもしれませんね。

そうかもしれません。
追い詰められたとき、人は「どうしよう」と自分の内側に閉じこもります。そんなときこそ、もう一人の自分に問いかけてみる。
「いま、何が起きている?」
「自分は何にとらわれている?」
「次にできることは何だ?」
その声は乃木の「F」のように、姿を現したり、荒々しい口調で叱ったりはしません。しかし、ピンチの中で自分を見失いそうになったとき、その小さな声が、逆転への最初の一歩になるのです。
メンタル分析:メンタルアナリスト/ホリシン(PsyCap Master 心理的資本開発指導士)
「心理的資本」や「レジリエンス」をテーマに「ホリシンColumn」を運営
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